今日「きみの友だち」という小説を読んだ。
あたしにも保育所からの友だちがいる。二人とも少し身体が不自由である。友だちは、難聴で、補聴器を使用しているが、身体障害者ではない。
あたしは脳性まひなので、障害者手帳は持っている。持ってはいるが、ほとんど利用はしていない。
なぜなら、あたしより、友だちのほうが、精神的にきついんじゃないかと思うことがあるからだ。友だちの、不自由は他人からは見えない。
あたしの障害は見た目で分かる。言語障害もあるので、知的障害もあるように誤解されることがしばしばある。悔しいけれど、そこでむきになっても仕方がない。実力を付けて、表舞台を歩かなくちゃ。と心に決めた。
「きみの友だち」を読んで、小学生の時のことを思い出した。
あたしも体育の時間が嫌だった。クラスのみんなの足手まといになる自分が、恨めしかった。
だけど、あたしは「きみの友だち」の主人公たちのように、強くも優しくもなかった。あたしは成績は悪くなかったから、成績の悪い子をいじめたような記憶がある。
「嫌なやつだったなぁ」と友だちに言ったら「そんなことないよ。さよちゃんはいつも正義の味方だったよ」と言ってくれた。
中学生の時、家庭の事情で進学を諦めていた友だちがいて、少しぐれていた。その子は徒手体操の選手で、志望校も決まっていたのに、お父さんが病気で倒れてしまって、進学を諦めた。だけど友だちのお姉さんやお兄さんが、学費を出してくれることになって、進学できることになった。だから、その友だちは、猛勉強をして、成績もよくなった。
だけど、急に成績がよくなったので、カンニングをしたのではないかと疑った先生がいた。あたしは友だちが、頑張って勉強をしていたのを知っていたので、先生に抗議したらしい。
抗議したあたしは忘れていたが、側で見ていた友だちは覚えていてくれた。
「さよちゃんは、あたしのためにも、先生と喧嘩したよ。先生に指されてすぐ、返事をしなかったので、無駄話をしていただろう」って注意した先生に「違う。先生の声が小さくて聞こえなかったんだ」って怒っていたよ。
見える障害より、見えない障害のほうが辛い。あたしは今もそう思っている。だからむやみに障害者手帳は使いたくない。
他人から見たら、軽いことでも、あたしが人間として、譲れないことがある。
仕事を選ぶ時も、障害者には無理だと言われたくないから、ケアマネを続けているのかもしれない。
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